2012年10月29日

鹿島アントラーズと世界最大の大仏

朝食後、倒れるように睡眠をとった後は、薬を飲んでから出発の準備。

そして同級生の運転で近くの『鹿島アントラーズ』のスタジアムへ・・・・icon17feel17feel17





この茨城県潮来市の地域だが、約3万人。バイロンベイと同じ位の人口だ。この町の面積はこの町は71.41km²。バイロンベイの面積は566km²だったと思う。それでも人は少なく、蒼い空も綺麗。空気もきれいな場所で気に入った。





辺は車は通るが誰一人歩いておらず、貸し切り状態!


鹿島アントラーズミュージアムに突入!!!ここで歴史を学べる。




鹿島アントラーズのチーム母体は1947年に創設された住友金属工業蹴球団で、1991年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称した。Jリーグ創設時からの加盟チームの一つ。未だにJ2へ降格した事が無く、僕の記憶では読売ヴェルディ(カズ、ラモス、北澤などなど懐かしいね)がだんトツで優勝するであろうと思っていたJリーグ元年。ジーコ,アルシンド、長谷川や本田を中心に大活躍。鮮明に覚えている!!





日本リーグ時代、常勝チームだった読売ヴェルディが世代交代がままならぬまま衰退してくのとは逆に、Jを代表する常勝チームとなった。誰が予想出来たろう。。。face02




鹿島アントラーズが設立出来た事自体当時は『奇跡』だったそうだ。
それを可能にしたのは熱い想いで動く人脈の数々。奇跡は頑張りきらないと発動しない力なんだとパネルを見てジーーンとした。頑張ろうと思った。



常勝チーム鹿島アントラーズは当初(1992)、只単にエンジ色のユニフォームが好きだから、好きだったチーム。

神様ジーコの実兄のエドゥーを筆頭にトニーニョ・セレーゾ(1970年代、『黄金のカルテット』の一人。ブラジル代表で有名な選手だった)なども指揮をとり、レオナルド、現監督のジョルジーニョやビスマルクなどブラジル代表のレジェンドクラスが名を連ねた。





若手育成にも定評があり、2002 FIFAワールドカップで日本代表に秋田豊、鈴木隆行、柳沢敦、中田浩二、小笠原満男、曽ヶ端準などクラブ別では最多の6人が選出された事が記憶に残る。



スタジアムの外にあるジーコ像。。


国内の3大タイトル(Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯)でJリーグ史上最多の15冠(A3チャンピオンズカップ、スルガ銀行チャンピオンシップ、スーパーカップを含めると22冠)を達成。また、それぞれのタイトルにおいて最多優勝回数を誇る。2000年シーズンにJリーグ発足後初の三冠(リーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯)を達成。そしてJリーグ3連覇(2007年 - 2009年)を達成している唯一のクラブでもある。

色々な情報やブームが世を騒がせる中、鹿島アントラーズは一環してアジア人枠以外『外国人枠』はブラジル人で統一し、成功を収めている点も勉強になった。



震災後、ドイツで発した内田選手のメッセージ




静まり返ったスタジアム・・・・ひしひしと伝わる緊張感・・・・最高だった。錯覚かもしれないが、ピッチは短いかなと思った。パスワークを重視する現代サッカーには向いているピッチの設計だった。

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次は宿においてあったパンフレットの中で最も目についた場所へと移動。

一瞬目を疑った。。山道をグネグネ移動中に見えて来たのがこちら。。。。。



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Posted by K at 10:16Comments(4)日本遠征2012